日本労働組合総連合会滋賀県連合会 連合滋賀

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2019平和行動in長崎

2019平和行動in長崎

~語り継ぐ戦争の実相と運動の継続で
恒久平和の実現を~

 
 

連合は、1989年の結成当初から平和で安定した社会の実現を目指し、平和運動に取り組んでいます。
広島につづき1945年8月9日に長崎にも原爆が投下され7万4,000人が息絶え7万5,000人余が傷つきました。長崎の地から平和への祈りを込め、二度と核兵器が使われないよう強く訴えていかなければなりません。2019年8月8日から10日にかけて「2019平和行動in長崎」を実施しました。連合滋賀からも5名が参加しました。

参加者レポート

 
 

自治労滋賀県本部 多賀町職員組合 古川達哉さん

 
各種行事に参加するなかで、「平和」とは何かという問いに対し、自分なりに再考するいい機会となりました。
長崎は私の出身地であり、平和とは何かを考え、向き合う機会は幼いころから身近にありました。しかしながら、齢を重ね、自分が置かれている環境や状況が変化するにつれ、平和に対する見方もあわせて変わってきました。
今回の出張のなかで印象的だったのは、爆心地公園で見た「長崎の証言」のなかで「空は白雲一つない晴れ渡った青空というのに、地上はなんという悲惨な光景だ。」という一文でした。
私が記憶している原爆の光景は、きのこ雲をはじめ、原爆の悲惨さを物語る爆心地付近の写真が思い浮かびます。このなかで、どの写真にも共通するのは、白黒カラーであるということです。現代はスマホなどを通じ、自分の目で見ている光景をありのままに画像(データ)として保存することができ、画像(データ)と現実における乖離をあまり感じる機会はないと思います。一方で、昭和以前の写真を資料館等で見ていると、「リアリティ」ではなく、1つの「歴史」を見ているような感覚に陥り、なかなか現代の感覚に落とし込めず、他人事のように感じてしまうことが、私はこれまで多くありました。
爆心地公園でのこの一文は、その「リアリティ」を如実に表したものであり、私が長崎で見た青空と原爆投下時の青空は同じものであり、戦時下にあった当時と現在の平和は、まったくもって他人事ではなく自分事であると感じざるをえませんでした。
社会人になり「平和」をいま一度見つめ直したとき、大切なのは「自分で考え、行動すること」だと再認識しました。
日常にある平和を将来にわたって続けるためにも、自分ができることは今後も積極的に行動したいと思います。
 


 

私鉄県協 近江鉄道労働組合 北村雅利さん

 
今回、平和行動として長崎の地を訪れ感じたことは、戦争、原爆の投下、被曝といった歴史的事実、言わば過去の出来事がまだ依然として長崎の人や町に息づいていると感じました。もちろん、風化させてはいけない事ですし、後世に伝えるべき事なのですが、悲劇を忘れないために式典や行動があるのではなく、二度と起こさせないために式典や行動を続けられている、と強く感じました。
当時の戦争体験を聞き、本当に心を動かされました。展示されている原爆投下後の街の様子の写真を見て戦慄が走りました。学生時代に教科書等で目にしていたのかもしれないのですが、大人になり、社会人として、改めて、自分達はなんて平和な時代を生きているのか、生かしていただいているのか、なんて尊く、無慈悲な犠牲があったのか、感じ、想う機会となりました。日本が戦争に向かっているという雰囲気が漂っていますが、道を誤らないためにより多くの働く仲間が平和行動に参加するべきだと思いました。
 


 

情報労連 NTT労組滋賀分会 福田功さん

 
2019年8月8日から3日間、長崎平和行動に参加して感じたことをご報告いたします。連合平和集会や平和祈念式典等様々な行動がありましたが中でも私が感動したのが「ピース・ウォーク」でした。
浦上天主堂遺壁や松山町防空壕群等々、戦後74年を過ぎた現在でも当時のままの状態丁寧に保存されており、すさまじさを感じ、衝撃を感じました。
恒久平和に向けてできることは数多くあるかと思いますが、自分自身が常に関心を持ち、「戦争はいらない」「核兵器はいらない」と唱え続けることが大切だと思いました。
今後は風化させないためにも、率先して活動していきたいと思います。
なお、この行動に際して、準備等にご尽力いただきました全てのスタッフの皆様に感謝いたします。有り難うございました。
 


 

連合滋賀第2区地域協議会 近江ハイヤー労働組合 深田浩史さん

 
私が長崎県に訪問するのは、中学校の修学旅行以来実に25年ぶりの訪問になりました。2回目の長崎といっても、1回目は平和公園や原爆資料館にいったのにほとんど記憶がなく、今回の機会に改めて参加したいと思ったのがきっかけでした。
1日目の長崎県立総合体育館で行われた「連合2019平和ナガサキ集会」では、神津連合会長の言葉をはじめ、被爆者の方の実体験をお聞きしたことで、ナガサキの深い歴史を肌で感じることができました。2日目の平和公園での「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の参加、続いて原爆落下中心地公園での「ピース・ウォーク」、浦上川での「万灯流し」に参加したことで自分自身の平和に対する思いが深まっていきました。
正直にいうと、普段、滋賀県で生活していて、長崎や広島の原爆のことはわかってはいても、遠い別世界のような感じであり、8月にニュースをみても、「ああ、今日が長崎に原爆が投下された日なんや。」と他人事のような感覚でいました。しかし、今回の「2019平和行動in長崎」に参加して、“肌で触れることの大切さ”“現地に来てみないとわからない”とはっきりと感じました。今は真剣に長崎県のことを考えられるし、絶対に戦争はダメだと心から思います。
私が連合滋賀を代表して、参加したことで、現地へいったものにしかわからない、現地でしか感じることができないことを伝えていかなければならないと強く感じました。
最後に、今回、このような機会をつくっていただいた連合滋賀と平和行動に連合滋賀を代表して参加した仲間の方々に感謝したいと思います。
 


 

連合滋賀第2区地域協議会 彦根市労連 田邉敏之さん

 
被爆74年「連合2019平和ナガサキ集会」において、田上市長は「ヒロシマ、ナガサキだけの問題のままでは世界に声が届かない。みんなが核兵器はいらないというメッセージを世界に伝えていかなければ行けない。」と述べ、その言葉からは本気が感じられました。私たちも他人事と思わず声を上げていかなければならないと思いました。
また、田上市長をはじめ、中村県知事や語り部の皆さんが口を揃えて言っていたことは、「きのこ雲の下にはみんなと変わらない日常があった」ということでした。大好きな家族と引き離される。家族の死を目の当たりにした時にどのような気持ちになるか、これまで私は考えてきませんでした。その言葉に思いを馳せた時、私だったらとても堪えられるものではないと感じました。戦時下の状況で貧しいながらも必死で生き抜いてきた。そのような人々を無差別に殺す核兵器は絶対に廃絶しなければなりません。
長崎の原爆による被害は、長崎市街地には山が多かったこともあり、広島の被害に比べて小さかったと言われています。しかし、原爆の威力は広島より大きく、爆心地付近では人々が一瞬にして蒸発してしまったり、強固な建物が衝撃波による爆風で倒壊したりしました。
2日目の「ピース・ウォーク」では、原爆落下中心地公園や長崎市平和公園を巡り、原爆の恐ろしさや平和への願いについて学びました。
平和公園(爆心地から数百メートル)には刑務所がありましたが、中国人や朝鮮人を含む、134人全員が即死しました。「被爆者は日本人だけではなかった」ということもこの時初めて知り、悲しい気持ちになりましたが、平和公園の一角に外国人被爆者ための慰霊碑があり、少し安心しました。
最後に、被爆者女性の体験談を聴いた時は、「二度と過ちを繰り返してはならない」と心に刻み込みました。「10歳の時に被爆した。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん誰もおらず、傍にいるのは弟だけだった。お母さんに抱っこしてほしかった。さっきまで傍にいたのに。」という話を聞いて、本当に残酷だなと思いました。
過ちを繰り返さないためにも、皆で平和について考え、訴え続けていかなくてはならないと感じました。
 

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